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傲慢な薔薇の棘:偽りの愛と再生のプレリュード
by 1
Ongoing
Synopsis
Table of Contents
Updated 2026-01-28
第一章:再会、そして服従の契約
第二章:色褪せた記憶、歪んだ現在
第三章:旧い傷跡、新しい姿勢
第四章:仮面の社交辞令、氷解の兆し
Chapter 1

むせ返るような酒の匂いと、安っぽい芳香剤の香りが混じり合う化粧室で、私は便器に突っ伏していた。胃の中身をすべて吐き出しても、不快感は一向に消えない。今夜の投資家は特にたちが悪く、次から次へと高価な酒を無理強いしてきた。

「……っ、うぇ……」

私はなんとみっともない。情けない。これが、小さなアパレル会社「リ・クチュール」の社長、橘莉子の姿だなんて誰が信じるだろう。

三年前、神代黎(かみしろれい)に捨てられた時、私は泣きじゃくることしかできない無力な小娘だった。けれど今は違う。金のためなら、プライドなんていくらでも捨ててみせる。会社を守るためなら、なんだってする。

鏡に映る自分の顔は、青白く、化粧も崩れかけていた。その時だった。背後に、見覚えのある長身の影が立ったのは。

「……橘?」

凍りつくような低い声。振り返るまでもない。この声の主を、私が忘れるはずがない。

神代黎。

三年前と変わらない、冷たく射抜くような瞳。高級そうなスーツを完璧に着こなし、まるで別世界の住人のように、彼はそこに立っていた。彼が醸し出す圧倒的な存在感は、この薄汚れた化粧室には不釣り合いだった。

「……神代、さん」

かろうじて絞り出した声は、震えていた。彼がここにいるなんて。なぜ?

黎は私を一瞥すると、フンと鼻を鳴らした。その瞳には、かつて私に向けていた熱はなく、ただ憐憫と軽蔑が浮かんでいるように見えた。

「相変わらずだな、お前は。そんなところで何をしている?」

「少し、気分が悪くて」

言い訳にもならない言葉だった。彼は、私の今の状況などお見通しだろう。

そうだ、三年前の別れ際、彼は言った。「お前みたいな女に、俺の隣は務まらない」と。彼の家柄、彼の社会的地位。それらに釣り合う女ではなかったのだ、私は。あの時の絶望と屈辱は、今も鮮明に思い出せる。そして、金があれば、もしかしたら何かが違ったのかもしれないという、醜い後悔も。

「さっさと戻れ。相手を待たせているんだろう」
「……はい」

彼の言葉は常に命令形だ。それに逆らう術を、今の私は持っていない。

よろめきながら個室を出ると、先ほどの投資家がちょうど化粧室に入ってくるところだった。私と黎の姿を見て、その顔色が一瞬で変わる。

「こ、これは神代社長!このような場所でお会いできるとは光栄です!」

さっきまでの尊大な態度はどこへやら、投資家は黎に対して卑屈なまでに腰を低くしている。これが、資本を持つ者と持たざる者の差。嫌というほど見せつけられる現実だった。

「橘さん、大丈夫ですか?顔色が優れないようですが」

投資家は猫なで声で私に尋ねる。その変わり身の早さに、吐き気がこみ上げてくる。

「いえ、少し飲みすぎてしまったようで。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。お詫びに、もう三杯、頂戴いたしますわ」

私は作り笑顔を浮かべ、そう言った。場を丸く収めるためには、これくらい何でもない。

黎は黙ってその様子を見ていたが、やがて口を開いた。
「橘と言ったか。お前の会社、資金繰りに困っているそうだな」

心臓が跳ねた。なぜ彼がそれを?

「……どこでお聞きになったのですか」
「この業界は狭いんでね。いくら必要なんだ?」

彼の言葉は単刀直入だった。値踏みするような視線が、私を射抜く。

「……五千万、です」

それは、今の私の会社にとって、喉から手が出るほど欲しい金額だった。

黎は少し考える素振りを見せた後、ポケットからスマートフォンを取り出し、どこかへ短い指示を出した。そして、あっけらかんと言った。

「わかった。投資しよう。契約書は後日送らせる」
「え……?」

あまりに突然の申し出に、私は言葉を失った。こんな簡単に?あの神代黎が?

「ただし、条件がある」

彼の目が、再び冷たく光る。

「LINE、交換しろ。それから……この会食が終わったら、俺のところへ来い」

彼の言葉の意味を理解するのに、時間はかからなかった。これは、そういうことだ。金と引き換えに、私を再び彼のものにしようとしている。

唇を噛み締めた。屈辱で全身が震える。けれど、会社のためだ。ここで彼の申し出を断れば、リ・クチュールは潰れる。それだけは、絶対に避けなければならない。

「……わかりました」

私は、声が震えないように、必死に平静を装った。

会食は何事もなかったかのように終わり、私は黎に指定されたホテルのスイートルームの前に立っていた。ドアを開ける指が、震える。これから起こることを考えると、逃げ出したかった。しかし、もう後戻りはできない。

部屋に入ると、黎はバスローブ姿でソファに座り、グラスを傾けていた。

「遅かったな」
「申し訳ありません」

彼の前に立つと、まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。

「服を脱げ」

命令だった。私は黙って、着ていた安物のワンピースのファスナーに手をかけた。布が床に落ちる音だけが、やけに大きく響いた。

彼の視線が、私の裸の体をゆっくりと舐め上げる。羞恥と屈辱で顔が熱くなるのがわかった。

「……相変わらず、いい体だな」

彼はそう言うと、私を手招きした。ベッドの上で、私はただ彼のなすがままになった。かつて愛し合った男との行為は、今はただの取引でしかなかった。彼の荒々しい愛撫に耐えながら、私は天井のシミを数えていた。涙が溢れそうになるのを、必死で堪える。これは仕事だ。そう自分に言い聞かせながら。

事が終わり、黎は満足そうにタバコに火をつけた。紫煙が部屋に立ち込める。

「やっぱりな」

彼は、吐き出した煙の向こうで、私を見て言った。

「お前は結局、俺の元に戻ってくる。俺にはわかっていたよ」

その得意げな声が、私の心の奥深くに突き刺さった。そうだ、私は結局、この男の手のひらで踊らされているだけなのだ。三年前も、そして今も。

私は何も答えず、ただシーツを握りしめた。これが、私と彼の「復縁」の始まりだった。金で買われた、かりそめの関係。

そして、ここから先の私の人生は、さらに大きく歪んでいくことになる。彼の一言が、それを予感させていた。